とにもかくにも日本のマスコミで声が大きい人たちは、極論が大好きです。と言うか、真剣に考えていないので、極論以外では語れないのだと思うわけですが。
「平成の開国だ! 反対? 保護貿易主義者が!」
「日本国債はデフォルト!」
「円暴落!」
「日本はハイパーインフレーションになります!」
「官僚制度は抜本的な改革が必要です」
などなど、「正解」があるとしたら、必ず極論と極論の間のどこかにあるはずで、それを模索しながらメンテナンスしていくという考え方が正しいと思うわけですが、
「そんな面倒なことやっていられるかよ! 大体、真面目に問題解決策考えるとかも面倒くさいし。抜本的に改革すれば、今よりはマシになるんじゃねえの?」
といった安易な考えに流された評論家たちが少なくなく、テレビや新聞には極論ばかりが踊るという話なのではないかと。
とはいえ、上記のように「極論ばかり・・・」という状況は、実は今も昔も変わらないようで。
孔子の論語に『中庸』という言葉があります。
『中庸の徳たるや、それ至れるかな』
というやつでございます。孔子のいう『中』とは量的に過不足なく、右でも左でもないことであり、『庸』は平常という意味を持ります。すなわち極端な右や極端な左ではない平常こそが『徳』であるという概念になるわけです。
ちなみに、ギリシャの哲学者アリストテレスも、徳は右でも左でもなく中間にあるとして、メソーテス(中間にある、という意味)という言葉を残しています。孔子とアリストテレスという古代の二大哲学者が、『徳は中間にあり』という言葉を残しているのは、実に象徴的ですね。すなわち、二千年の昔から「極論」を叫び、解決策をきちんと考えない人たちがいたという話です。
中庸|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba (via itokonnyaku)
損して得取れという言葉もあるのですよー
(via petapeta)